祖父 山口彊(1916~2010)は、 広島・長崎で被爆した二重被爆者
2011年より祖父の被爆体験と非核平和の継承を紙芝居(子供用・大人用)やドキュメンタリー映像・著作の朗読を用いて次世代に語り継ぐ被爆三世。
被爆者(故山口彊)・二世(母)・三世・四世(息子)四世代に渡り国内外で継承活動を行っている。
広島・長崎の両市で原爆を投下したB29搭乗員の孫(Ari Beser)と共に活動。次世代継承への想いも併せて語る。
【全国の学校で平和学習】
同志社国際小・中・高校、吉祥女子中学校、四天王寺中学校、星光中学校、洗足中学校、椙山女学園高校、横浜共立学園中学・高等学校、活水高等学校、長崎市立小中学校 池袋ニューインターナショナルスクール 他
【全国の自治体、市民団体】
大阪府 摂津市・北海道 旭川市・三重県四日市・津市・青森県被爆者団体・広島市・東京都 国立市・東京清掃労働組合、全国一般東京労働組合、エフコープ生活協同組合(福岡)、長崎県生活協同組合連合会他
三浦綾子記念文学館(北海道 旭川市)
吹田市立平和祈念資料館 (大阪府 吹田市)
北九州平和のまちミュージアム(福岡県 北九州市)
真宗本廟 真宗大谷派 東本願寺(京都) 他
【企業】
Google2021・2023・2025年
(株)ジャパネットホールディングス
【TEDトーク】
TED×saikai
TED×dejima
【YouTube動画】
TBS COROSS DIG with Bloomberg
日テレ「キノコ雲の上と下」再生回数 355万 越え
NHK World・NCC長崎文化放送・広島テレビ他多数
【記録映画】
「二重被爆~語り部山口彊の遺言」2011年公開
「ヒロシマナガサキ最後の二重被爆者」2019年公開
タキオンジャパン 稲塚秀孝

『「キノコ雲」の上と下の物語』(朝日新聞社刊)を2025年7月広島に原爆を投下したエノラゲイ号の操縦士の孫、アリ・ビーザー氏と共著で出版。
祖父は広島と長崎両方の「二重被爆者」 原田小鈴の自己紹介
~2024年10/30 朝日新聞記事より~
小学校1年、6歳の時、夏休みの宿題の作文を書くため、初めて祖父に戦争体験を聞きました。
「おじいちゃん、戦争と原爆のことを教えて」
祖父・山口彊(つとむ)は淡々と答えてくれました。「ぼくは広島と長崎で原爆に2度遭った二重被爆者だ」と。
1945年8月6日、三菱重工業の技師として出張先の広島で被爆し、地元・長崎にたどりついたあとにも被爆しています。祖父は「キノコ雲が広島から長崎まで追いかけてきた」と書き残しました。
私の知る祖父は、いつも本を持ち歩き、新聞、雑誌を読み、短歌を詠みました。穏やかで、声を荒らげたり、たたいたり、怒鳴った姿を一度も見たことがありません。物静かで、いつも穏やかな人でした。
《大(だい)広島炎(も)え轟(とどろ)きし朝明けて川流れ来る人間筏(にんげんいかだ)》
祖父にとって短歌を詠むことは、原爆に対する怒り、悲しみ、憎しみ、記憶、心の傷を浄化する唯一の表現方法だったのでしょう。
祖父が語り部活動を公の場で始めたのは90歳になってからでした。それまでは、静かに短歌で核廃絶を訴えていました。戦後にも「語り部活動をしたい」と家族に打ち明けたらしいのですが、猛反対されました。被爆の後遺症で右耳しか聞こえなくなっていたことや、娘2人が未婚だったこともあります。被爆者や被爆者家族に対する偏見や差別が色濃い時代でした。
祖父は2010年に93歳で他界しました。私に、自分の戦争・被爆体験を語り継いでほしいとは一言も言いませんでした。ただ、生後1カ月もしない息子(ひ孫)を抱いている私に「後は、君にバトンタッチするね」と、それだけを言い残しました。
祖父は「アメリカ人が憎い」とは一度も言いませんでしたが、「アメリカが原爆を広島・長崎に落とし、大量の人間を殺し、町を焼き尽くし、生き残った人の心を傷つけたことは、絶対に許せない」と言っていました。
13年6月、米国人のアリ・ビーザーさんが被爆2世の母に会うために、長崎に来るとの連絡をいただきました。アリさんの祖父は、広島・長崎で原爆投下に関わったとのこと。原爆を投下した米国人兵士の孫が、なぜ日本人の被害者家族にわざわざ会いに来るのか。私が原爆を投下した兵士の孫ならば、会いにくることは出来ません。
出会ってから11年、共に活動するようになったアリさんと私。被爆80年に向けて発信する孫たちの声が、核兵器を持ち続ける世界への警告と、人類を平和へと導く希望になると信じています。
